■社会福祉政策の現場で思ったこと
イメージは、どちらかというとステレオタイプ的に押し付けられるときが多分多い。社会福祉政策の現場にいるとき、生活保護を受けている割合の7割をしめていたヒスパニック系アメリカ人に対して、よく耳にした言葉。「怠惰で無気力だ。貧困に対してあきらめがあるし、教育の優先順位は低い。だから、いつまでも貧困層にいる。」それに比べてアジア系は、という。なるほど、勤勉であるし教育に対する理解と熱意が高い、だから平均給与も白人よりも多くて貧困層がほとんどいない、という統計はある。そういうMinorityを(Majorityに対して負担にならないという意味、Majority文化をAssimilateしたというを込めて)「Model Minority」という。なので、多分、多くの「Model Minority」は「自分達が勤勉でまじめである」というイメージを持ち、共有しXXX系アメリカ人はXXXであると、一般化する。しかし、それは自分達で作り上げるイメージではない、としたらどうだろう。
■ステレオタイプ
この一文をご覧あれ。The Japan Gazette at the end of the last century printed, "Wealthy we do not think it [i.e. Japan] will ever become、と、日本は豊かになれない、という。(1870年代の新聞記事)その理由は日本が「気候に恵まれている」、「人民が根っから怠け者」であるからという。(Hong Kong大学の方の論文にある一文である。是非読んでみて下さい。)ところが、国が豊かになると、もうご存知の通り日本の経済成長は勤勉によるものだと説明「された」。そして、日本人のこの経済成長を遂げたイメージは広く世界で共有されている。それを日本人として、僕はとても誇りに思う。まあ、支離滅裂なんですが、何をここでメモしようかと思ったかというと、貧困問題とかつまり「社会的弱者が関わる問題」の解決は、一方のステレオタイプ的なイメージが解決の阻害の一要因であり、一見するとその人種の固有な文化的価値観に理由を求めるが、それはあんまり意味がないと、日本のケースでそれは明確ですな。つまり、このありがちな開発現場での構図は、先進国の現場と同じ部分が多いと改めて感じているということ。
■The Bamboo People
Model Minorityなど、ちょっと懐かしい言葉を思い出しので、ついでにメモをしておく。「美しい日本」が代表するように、日本人のあり方みたいな感じの本がたくさん出ている。僕が大変お世話になった方で、Sさんから教えていただいたのだが、第二次世界大戦を通じて「The Bamboo People」と呼ばれる人達をご存知だろうか?ネットで調べてもあまり情報はない。Frank F. Chumanという日系アメリカ人が書いた「The Bamboo People(邦題バンブーピープル)」は、「美しい日本」というコンテクストの中で、改めて読まれる本だと思う。フレッドコレマツは、レーガン大統領の政策と合わせて大変に有名だが、Frank F. Chumanも「日本人」とはを問い、そして一方的に押し付けられるイメージの中で戦った人である。現在お孫さんは弁護士として活躍されている。
■今日の一枚
ネットコミュニティの地図

■安全保障政策と貧困問題
2006年に出された合衆国安全保障戦略ペーパーを、貧困の終焉を合わせて読書中。なかなか興味深いのが「アメリカ人の多くは外交政策(安全保障のみならず、外国援助政策も含めて)への意見を国益からではなく、聖書の予言解釈で決めている」という部分。例えば、ジュビリー2000(貧困国の債務帳消しキャンペーン)を、アメリカ議会で対外援助反対派、宗教系右派は債務の問題を宗教の問題として捉え承認した。サミュエルハンチントンの著作は、結構読んでいたと思ったが、「キリスト教的価値観」という言葉の意味が、文明の、というよりは安全保障政策と貧困問題というコンテクストの中では、よりリアリティがある。キリスト教の終末預言に基づく小説「レフトビハインド」を読んでみよう。
イメージは、どちらかというとステレオタイプ的に押し付けられるときが多分多い。社会福祉政策の現場にいるとき、生活保護を受けている割合の7割をしめていたヒスパニック系アメリカ人に対して、よく耳にした言葉。「怠惰で無気力だ。貧困に対してあきらめがあるし、教育の優先順位は低い。だから、いつまでも貧困層にいる。」それに比べてアジア系は、という。なるほど、勤勉であるし教育に対する理解と熱意が高い、だから平均給与も白人よりも多くて貧困層がほとんどいない、という統計はある。そういうMinorityを(Majorityに対して負担にならないという意味、Majority文化をAssimilateしたというを込めて)「Model Minority」という。なので、多分、多くの「Model Minority」は「自分達が勤勉でまじめである」というイメージを持ち、共有しXXX系アメリカ人はXXXであると、一般化する。しかし、それは自分達で作り上げるイメージではない、としたらどうだろう。
■ステレオタイプ
この一文をご覧あれ。The Japan Gazette at the end of the last century printed, "Wealthy we do not think it [i.e. Japan] will ever become、と、日本は豊かになれない、という。(1870年代の新聞記事)その理由は日本が「気候に恵まれている」、「人民が根っから怠け者」であるからという。(Hong Kong大学の方の論文にある一文である。是非読んでみて下さい。)ところが、国が豊かになると、もうご存知の通り日本の経済成長は勤勉によるものだと説明「された」。そして、日本人のこの経済成長を遂げたイメージは広く世界で共有されている。それを日本人として、僕はとても誇りに思う。まあ、支離滅裂なんですが、何をここでメモしようかと思ったかというと、貧困問題とかつまり「社会的弱者が関わる問題」の解決は、一方のステレオタイプ的なイメージが解決の阻害の一要因であり、一見するとその人種の固有な文化的価値観に理由を求めるが、それはあんまり意味がないと、日本のケースでそれは明確ですな。つまり、このありがちな開発現場での構図は、先進国の現場と同じ部分が多いと改めて感じているということ。
■The Bamboo People
Model Minorityなど、ちょっと懐かしい言葉を思い出しので、ついでにメモをしておく。「美しい日本」が代表するように、日本人のあり方みたいな感じの本がたくさん出ている。僕が大変お世話になった方で、Sさんから教えていただいたのだが、第二次世界大戦を通じて「The Bamboo People」と呼ばれる人達をご存知だろうか?ネットで調べてもあまり情報はない。Frank F. Chumanという日系アメリカ人が書いた「The Bamboo People(邦題バンブーピープル)」は、「美しい日本」というコンテクストの中で、改めて読まれる本だと思う。フレッドコレマツは、レーガン大統領の政策と合わせて大変に有名だが、Frank F. Chumanも「日本人」とはを問い、そして一方的に押し付けられるイメージの中で戦った人である。現在お孫さんは弁護士として活躍されている。
■今日の一枚
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■安全保障政策と貧困問題
2006年に出された合衆国安全保障戦略ペーパーを、貧困の終焉を合わせて読書中。なかなか興味深いのが「アメリカ人の多くは外交政策(安全保障のみならず、外国援助政策も含めて)への意見を国益からではなく、聖書の予言解釈で決めている」という部分。例えば、ジュビリー2000(貧困国の債務帳消しキャンペーン)を、アメリカ議会で対外援助反対派、宗教系右派は債務の問題を宗教の問題として捉え承認した。サミュエルハンチントンの著作は、結構読んでいたと思ったが、「キリスト教的価値観」という言葉の意味が、文明の、というよりは安全保障政策と貧困問題というコンテクストの中では、よりリアリティがある。キリスト教の終末預言に基づく小説「レフトビハインド」を読んでみよう。

